捨松くらふと

カートを見る

帯屋捨松について

帯屋捨松の歩み

帯屋捨松の歩み

創業は、江戸幕府・安政(1854年~1859年)年間。
かつて量産していた時代もありましたが、昭和30年代に図案家であり織匠、染色家でもあった徳田義三氏との出会いによって、量より質に転換する道を選びました。
七代目社長 木村博之の父、木村弥次郎(昭和6年生まれ)は徳田氏に弟子入りの後、1978年(昭和53年)に独立し、現在も帯屋捨松の中軸となっています。

「美しさとは何か」と「生きているとは何か」が同軸にあること、伝統美と古典に尊敬を抱きながら、常に改新する心を持ち続けることなど、徳田氏から受け継いた感性と精神を今に活かし、弥次郎は現在も現役でオリジナル図案を描いています。
そして岡尾邦彦(昭和10年生まれ)と歩を合わせ、制作の中心を担い、後進の指導にも力を注いでいます。

現在の帯屋捨松は十数名のスタッフで運営しています。
週二回行う勉強会で、すべての従業員が織りの技術を学び、習得しています。
それには営業も経理も関係なく、社長とて例外ではありません。

これからも帯屋捨松は、真摯にモノ作りに取り組みながら、常に高い技術を保持し、よりよい品質と高い文化性を持った製品を作り続けていきたいと願っています。

屋号の由来

屋号の由来

「木村捨織物所(きむらすておりものしょ)」から「帯屋捨松」と屋号を変えたのは、かつて西陣の名匠といわれた徳田義三氏です。
「捨松」は、七代目木村博之の曾祖父の名前でもありました。

では、とかくマイナスのイメージにされがちな「捨」というのはどこからきたのでしょう。

昔は子供の死亡率が高く、疫病神にさらわれるなどと畏れられていました。
しかし不思議と捨て子は丈夫に育つとか、疫病神も捨て子に興味を示さないなどいう言い伝えがあり、子供の無事な成長を願って、松の木の根元に捨て子の真似事をしたというのが「捨」の名前の由来です。逆説的にプラスの発想、というわけです。
真似事とはいえ、そのとき捨て置かれた子どもと健やかに育って欲しいと思う親心の双方を見守ったのは、ずっしりと構えたその松の木「捨松」だったに違いありません。

ちなみに帯屋捨松の暖簾の文字やガス燈、帯につける小札のロゴタイプデザインも徳田氏が手がけたものです。
「帯屋捨松」の文字は、ひとつの形にこだわらず、遊び心いっぱいに、実にさまざまな表情の文字に描き分けています。
織機に欠かせない部品のひとつに杼(ひ)という道具があります。
杼という道具は、経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通す役割をします。
長さ12センチから20センチくらいの木製で、舟形をしています。
こちらのデザインは、この杼の中に帯屋捨松の飾り文字を入れたものです。

捨松の紋図と手織り

図案庫(ギャラリー)

日本には四季があり、気候風土に合った衣食住があります。
私どもが携わる「帯」もまた、装いとしての着物と共に育まれ、かけがえのない文化的な財産として受け継がれてきました。
現代生活が様変わりしても、日々この国で暮らす私たちには今もこの美しい文化への想いが息づいています。

日常の中で、本当の豊かさとは何か? と考えた時、そのひとつの答えが自分自身の仕事にあると気がつきました。

つまり「帯」の存在です。
気の遠くなるような作業を経て織り上げる帯は、一見無駄に思えるひと手間ふた手間をかけます。
締め味にもこだわり、手に取った時の心地よい風合いを目指して織られます。
例えば図案を紋図(もんず)におこす時、コンピューターを使わずに、あえて手描きですることにより、ぱっと見ではわかりませんが、より奥行きや深みが増すのです。
一色に見える色でも何色もの糸を紡ぎ合わせたり、金銀糸、箔などのさまざまな材料を合わせることにより更に生きた色調になり、芯の色はより深まっていくのです。

スピードと利便性にとかく流されそうな現代にあって時代に逆行するようなモノ作りをしていますが、むしろそのように時間をゆっくり流し、無駄を省かない。
それは、いいものを作るうえで一番大切なこと、と私は信じます。

帯屋捨松 木村博之